水の波紋みたいにワワーと

Okamoto_Makuzu2008-11-02


1日の最後にまくっさんと飲んで楽しかった

こちらこそありがとう!キノコ頭のべっぴんさんよ。

高校、大学となぜか同じ道を辿って来たフジタ湾さんと遊んだ。

グーで自分の頭を殴りたくなるような拙者のへたくそな原稿をお渡しして、フリーペーパーミニコミ誌の「こんにちは新聞5号」をいただく。

わたしは見た目でよく誤解されるんだけど
2リットルアイスをむしゃむしゃするし
口を開けたまま歩くし
鞄の中はぐちゃぐちゃだし
ゲームも近年は最後までできたためしがないし
学校を卒業することもできないし
興味の対象がころころ変わって
要するに途中でやめすぎなんだけど

世の中はきっと
・ノリのきいたシャツをピシっと着た一部の人(さいごまでできるひと)と
・ストッキングを準備し忘れて泣きそうになる一部の人(とちゅうでやめるひと)と
・その他ジャガイモ(っぽく見えるだけである、すみません、人の認識率が極度に低いんです、すみません、ジャガイモなんて言ってすみません。ぺこりぺこり)でできている。

いわずもがな、わたしはストッキングがなくて泣く人間。

「ナツカレ!2008」をお願いされたので買っていただいた。
ありがたいことである。
一冊一冊、丁寧にお送りしたい。

京都に置いたフリーペーパーを修学旅行で持って帰った地方在住の若者からファンレターが来たという話しをきき、
どこかのだれかを楽しませる力、って偉大だな、と思った。

今は先輩方のおおきな胸をお借りして参加させていただいているけれど
わたしも自分のレーベルでやってみようと思う。
きっと人任せにするから無責任になるんだ。
どれだけ孤独でも自分で最後までやりとげたという達成感なくしては、前へ進めない気もする。
「おうちに帰るまでが遠足です。」

串カツをつまみ、おどおどしながら瓶ビールをおかわりし、
我々がいかに社会不適合かということをなんとなく話しながらどんどん絵をかく。
紙とペンがあったら、なんでも描くよ。
ああ、これは止まらない。
酔った勢いで絵を描く会をしよう。

スイーツ大好きないい大人が
缶コーヒーとアイスをほおばってお話する。
チョコはいい。
ポリフェなんとかが身体にいいとかじゃなくて
チョコレートを堂々と食っている贅沢な感じ。

「負のクリエイティブ」って素敵なことば!
「エコを考えるフリをする」も素敵!

間違っても「モテ子」にならないのである。
我々は、プラナリアのように、しぶとい。
はらわたの奥のグリグリをねじって遊ぶこの感覚。

あ、もう何書いたか
書いたそばから忘れちゃった。

なんか、繋がるってことよ。
そんでもって、なかなか立派な大人になれないっておはなし、だっけ?

今日の名言。

福満しげゆきはマスト!」

**

追記

見せ合うっていいね、描いてたら煮詰まって自分ひとりで暴走しがちだけど
見てもらうのって冷静になるね。

否応なく周りに若い世代が増えてくるので、出し惜しみをせずに行こうと思ったよ。
失敗する姿も、泣いたり笑ったりする姿も、
人間の素直な感情を出してゆきたいよ。

優しいってすごく前向きな気持ちよね、自分に対しても他の世界に対しても。
何にせよもくもくと自分の絵を描き続け、こうじゃない、こうじゃない、って思ったり、たまに考えてることをポツっと言ったらそこから水の波紋みたいにワワーと話題が広がって行ったり、
そういう距離とか存在がすごく愛おしいんだな、って再確認しました。

都心で岡山弁をぶっぱなすのは実に気持ちのよい排泄行為(飾らない自然な表現)なのでした。
でもゴミは出してないと思うよ。
言葉からのゴミや、人を傷つけるなにか、は。
エコってそういうことじゃないかな、
と思ったり思わなかったり。

ちなみに、エコってエゴだと思うのだけれど。

己が出したゴミを拾って喜ぶのが「地球に優しい」とは思えないから。

ここを誰が読んでるのかわからないけれど、勇気をもって書いてるんだよ、いつも。
自分が出した表現と
いつも心中する気持ちでいたいのよ。
それくらいの覚悟で出してゆきたいのよ。

届くかな?画面の向こうの人よ。

勇気を持って人と接触するといいよ。

たくさんの世界を見て、
たくさんの人と関わって、
経験を糧にする。

動かずに
自分の手を汚さずに
嫌なことを全部避けて通って
上っ面だけ文句垂らすなら誰だってできるんだよ。

トンネルはいつか抜ける。


バタフライ・エフェクト」は希望であり、畏れである。