あ
あ、思い出した。
侏儒の言葉、だ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html
太宰は嫌い。芥川が好き。
それでも彼等の全てが好き嫌いなわけじゃない。
これは変わっていない。
読めばいいってもんじゃない。
どこがいいのか、どこが嫌いなのか、はっきりさせることだ。
そう、欺瞞や偽善は嫌い。ましてや芸術なんて欺瞞もいいところだ。
ぞっとしないはなしばかり。
げーじつか、なんてバカだから
バカはバカなりの仕打ちを受ける。
こわいのは
媚びて安寧して
無視されること。
的確な主張を持て。
そこに至れば
表現はぶれない。
いつの時代も、後退しながら進んでいる。
或資本家の論理
「芸術家の芸術を売るのも、わたしの蟹(かに)の鑵詰(かんづ)めを売るのも、格別変りのある筈はない。しかし芸術家は芸術と言えば、天下の宝のように思っている。ああ言う芸術家の顰(ひそ)みに傚(なら)えば、わたしも亦一鑵六十銭の蟹の鑵詰めを自慢しなければならぬ。不肖行年六十一、まだ一度も芸術家のように莫迦莫迦(ばかばか)しい己惚(うぬぼ)れを起したことはない。」