イタリアでの震災に思うこと。
大学時代の友人がイタリアにいます。
ここのところ、彼女の安否が心配で、何度もネットやテレビをチェックしました。
ようやくアップされたブログを見る限り、命に別状はないようです。
ただただ、日々を堅実に生きることを再確認しました。
一刻も早い救済、そして復興を望みます。
阪神淡路大震災が95年。
当時、わたしは中学3年生でした。
実に、同期の4人中3人が「あの揺れ」を経験していたのだと今、ふと思い返しました。
街がひとつ潰れる惨事。
災禍。
人間の力では不可避な出来事の前に胸を痛めたことを、ここに記しておきたいと思います。
早朝の長い揺れ。
実家の岡山でも、命の危険を感じました。
古い家屋のトイレのドアは、それからきしんで開閉が不可能になりました。
学校から帰って、制服のまま見つめたテレビの画面。
なんにもできませんでした。
無力でした。
当時のニュースに
瓦礫の下からデッサンの本を掘り出して
美大の受験に備えようとする
男子高校生が映っていました。
彼が使っていたものは、わたしが持っていたものと同じ本でした。
一方、わたしは高校受験。初めてのデッサン。
見よう見まねで、田舎の中学校から、ひとりで挑んだ試験でした。
恩師だと思える人が、何人かいます。
確実に心の支えになっています。
とかく、生きて報いたいと思います。