+αな気遣い。

若い頃からリウマチで病床に臥せっている大阪の叔母に年賀状を書いたら、
小物とお小遣が少し、それから震える手で書かれた手紙が来た。
以前から、ちょこちょこと手紙や小物を送ってくれている。
室内で育てられる花の球根、入院中にお手紙、背丈を聞いて見繕ってくれた服。

もうすっかり大きくなったんだよ、わたし。
最後に会ったのはいつだろう?
おじいちゃんのお葬式?多分7歳。もしくはおばあちゃんのお葬式。16歳。

互いに、「いつかいつか」と言いつつ、もうずいぶんと顔を見せていない。
動くことが不自由な人間にとって、誰かの優しさと心遣いがどれだけ染み入るか。

倒れてから知るのは勿体ない。

わたしは子供の頃から病気や怪我ばかりしていた。
20代前半で生死の境を彷徨ったし、入院や手術を経て来た。

蒸れて肌が痒くなる特注コルセット。
リハビリに一年。
いつも身体が付いて来なくて、苦しかった。
汗だらけでわたしの身体を洗ってくれる母に、申し訳ないと思った。

今でも神経が酷く痛むことがある。
健康な人のようには動けない。

動けないからこそ、見えることもきっとある。

言葉一つでいいのに。

+αな気遣い。

「ごめんなさい」より一歩進んで「ありがとう」が言える人になりたい。

青いインクのペンで、お礼の葉書を書いた。
映画「ひめゆり」の葉書。

一本だけ未来に残せるとしたら、この映画を持って行きたい。

忘れちゃいけないこと。


綺麗なものを作る人は、綺麗な視線を持っている。
そういうことを真実と思いたい。

目が曇らないうちに。
視界が晴れているうちに伝えたい。