ヒトはパースを手に入れた時、画面に法則を課した。

自我から解放されるのは脳細胞を少し壊した状態から始まるのかとそう思う。
意識的に行為にトランス出来るかどうかがキモと見た。

作家が描くのは目に見えないもの。

より自由に描くためにツールを手に入れる筈なのに、気付けば不自由さにがんじがらめになっている。

見えないものを信じるか。
見えないものを見ようとするか。

きっと子供のときにとっくに形成されている、それ。

学校教育を受けない頃の自由に踊る字、モチーフ、世界。

猫と妖精を描かなくなったのはいつだろう。
恥ずかしいもの、恥ずかしくないものを自分で選び、恥ずかしい世界はこっそりと一人で空想し、描き、ごっこ遊びをした。

封印していた羽根を空気に晒す仕草。

「わたしだって蝶になりたい」と書いたヒトコマを否定などするものか。

肩甲骨に羽根を畳んで
歩き持つ。

広い場所に出たら
広げてみようと思う。

飛べるかな。