【走る仮面の会】がこうなりました。


この絵は、わたしが世界一好きな一枚です。

パウル・クレーの絵です。

日本語では
「さえずり機械」「楽しいさえずりの機械」
などと呼ばれている絵です。

どこから見つけたのかは覚えていませんが、たぶんきっと中学生の時にパウル・クレーに出逢い、高校生の頃にこの絵を知って、小さな切り抜きをそれはそれは大切にノートに挟んで眺めておりました。

3年前、ねじまきさんと出逢った時、この絵を思い出しました。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」みたいなやつだな、と思ったからです。
ねじまき鳥なんて出て来たのか覚えてないけれど。

とらえどころがなくて、不思議な存在。

ころころ、からから、

ころがって、ないて、わらって。

だから彼のあだ名が「ねじまき」なんです。

そうやって命名したんだよ、と言ったら、彼は彼で「ねじまきプロジェクト」というものを既に脳内にお持ちでした。

ねじまきっていう言葉がどうシンクロニシティしたのか、本当にわからないです。

でもそんな風に、ひととひとはつながってゆくのだろうなあ、と思う昨今です。

ta湾さんは、わたしの高校・大学の先輩です。

彼女は非常に粘り強く、感性の豊かな方です。

このたび、ゴールデンウィークに郷里の岡山で展覧会をなさりました。

そして、4日間で実に700人以上のお客様という、偉業を成し遂げられました。

あのへんぴな岡山の地で?と最初は耳を疑いました。

でも本当だった。

古代文化にインスピレーションを受けた先輩が、ある形に出逢いました。

それが分銅型モチーフ。

そしてこういうことになりました。

http://yaplog.jp/kinutayukio/category_10/

展覧会の報告を聞いたとき、胸が詰まって、涙が出てしまった。

とうきょうのおかやまじん

どこかにわたしがいます。

あなたもいます。

とうきょうじゃなくても、おかやまじゃなくても、せかいじゅうのものが、ここにつまっているとおもいます。

古代文明と今のにんげんが、いっしょくたに生きています。

どこにでも、こうふくのたねは落ちていて

ちょっとした日光と栄養をあたえたら

ふしぎに花開くもの、なんです。


うん、

またパワーをもらったよ。

ありがとう、みなさん。

またなんかやらかすよ。

だって、生きてるもん。

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<走る仮面の会発足のあらすじ>

ta湾先輩 高熱やなんやかんやで倒れる

発作的に仮面を作ってブログにアップ。

なんだかインスピレーションを受けちまったわたしが、これまたうなされて、仮面作ろうよ、と言い出す。

公民館借りる?屋外でやる?などと私信で連絡。

ちょうどスペースマインドのフリーパーティーがあったので
画材を持ち込んで描いてもいいかHiroくんに聞く。

いいんじゃない?

ってことで当日、なんと初対面。

大きな音を聞きながら無心に作るわたしたち。

ソネハチさんやイスケさんが参加してくれる。

代々木公園で一緒にお絵描きしたta湾先輩。

東京のどまんなかで

過疎地出身のわたしたちが

岡山弁でしゃべって 描いて 踊った。

寒さもなにも感じなかった。

音に取り憑かれたまま筆を走らせていると

瞳孔が開くことに気付く。

脳味噌の速度に腕が付いて行かない、あの感覚。

子供のころのなぐりがき。

無心にかいた、なぐりがき。らくがき。

アドレナリン大放出といいますか、とにかくなにか違うのね。

そんなこんなで 

わたしもどんどこやるぞっと。

あのヨヨコー以来、音を聞いているとイタコと化して神降ろし的なクリエイションに結びつくようになりました。

きっとね、いっぱいいろんなことができるんだ。

みんなみんな、ありがとう。

つくることは、くるしいです。
とてもとても、こどくです。

それでも、たのしいんです。
たのしい、がつたわれば、

おとなもこどもも

わらってくれます。

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やわらかいピンクや、ターコイズや、ピーコックブルーが大好きです。
ずっとずっと大好きです。

「好きなものを大切になさい。」

わたしがお世話になった、こころのやまいをみてくれた、岡山の先生の言葉です。

渡来人の名字をお持ちでした。
つまり、大陸から流れて来た技術者かなにかの子孫なわけ。

もういないたくさんの人々に、
大好きなパウル・クレーに、猪熊源一郎に、イサム・ノグチに、岡本太郎に、太郎さんの美術館で声をかけそこねたまま亡くなってしまわれた岡本敏子さんに、捧げます。

そして、また一歩。