徹夜明けの戯言


<無題:A2イラストボード アクリル絵の具 ダーマトグラフ 99年頃>

夢中でカルタの文句を考えてた。
それから、絵に色をつけてた。

まだまだやりたいことがあって、スペースさえ確保できれば孔雀明王のイラストの続きを描きたいんだ。

公募で賞をとるとかどうよりも、自分の作家性を少しでも確立してゆきたくて。

「あなたは一般企業で働くだけの能力はあるだろうけれど、向いてない」
って言われた、会社員に。

「それは有り余る個性のせいですか?」
と聞いたけど、寝てしまったので返答得られず。

ただ、
「こういう作業をしている時のあなたが一番楽しそうだよ」
って。

むーん。

わたしは腰痛持ちです。
骨の奇形です。

内股でよく転ぶので、4歳くらいのときに整形外科に連れて行かれました。

「大人になったら治りますよ」と言われました。

治ってません。

11歳で腰痛が出始めて、親に信じてもらえないまま我慢してたら部活もしんどくなって、14、5歳でまた病院に行きました。

MRIを撮ったら、「腰椎すべり症ですね。根本的な治療は手術しかありません。日本人には珍しいです。」と言われました。

受験を控え、目の前が真っ暗になりました。

体育も休み休み高校と大学をノラクラして、
一時間以上の講義は途中で棄権。

22歳の時、とうとう痛みで歩けなくなってしまって、また病院へ。
都内の大きな大学病院です。
「早急に入院手続きをとってください」と脊椎の権威に言われました。
手術は病院の都合で4度延期になりました。
23の夏、やっと手術。
8時間かかりました。
切開してみるとわたしの腰の神経はボロボロで、紙一枚の厚さでした。
「これは80代の身体だよ。よく持っていたね、若いからだろう」と言われました。
ボルトを6本、身体に埋めました。

そこからリハビリで一年、実家で外出もままならない生活。

移動の新幹線は車椅子がついてくる。上体をひねってはだめ、デスクワークも1時間が限度、体重制限付き。

身体を鍛えるためにジムにいったりするけれど、子供の頃からやりたかったバレエも横目に涙し、流行りのヨガも危険なポーズがいっぱいあるのでダメ。

入院中にお見舞いに来てくれた女の子に
「退院したら、とびきり綺麗なピンヒールで歩きたい」
って言ったんです。
「似合うよ。きっと似合う。」

実現できてません。


で、なんとか人並みに歩いたりできる昨今ですが、
やっぱり痛いんですね。

鎮痛剤でなんとかしのいでいますけれど、中腰も重い荷物を運ぶのも肉体労働も駄目なんです。

こんな身体で出来ることってあるのかなあ、って何度も何度も思うんだけれど、辛酸なめたからこそわかる思いもあるわけで。

のうのうと生きたつもりもありません。
逃げたくても逃げられない状況だったのか、
逃げる勇気もなかったのか。

徹夜明けはちょっとセンチメンタルになりますな。

怒りとか悲しみとか慈愛とか切なさとか、
わたしがヒトより少し秀でているかもしれない部分って
そういうものを表現できることだと思うのね。

身体の機能やありふれた幸せを奪われた変わりに授けられた天命だとしたら、
一生かけてそれを体現していかなきゃな、って思うの。

だれかの心を鷲掴みにしたり、ちょっと笑ってもらったり、泣く肴にしてもらったり。

布団とお風呂でしか泣けなかった幼子は、今ようやっと息を吹き返したよ。


ね、覚悟はできてるんだ。

たぶん。