荒木経惟氏の写真について考察〜その2〜

始めに。
わたしは写真に関しては素人です。
素人なりの考察なので細かな相違点には目をつぶってやってください。

かつて自宅に暗室を構えていた父(昭和18年生まれ)とわたしのメールのやり取りです。

こちらからは、普通に「元気にしてるよー」という現状報告だったんですが、なにやら理詰めになってます。

まずはわたしのメール

荒木経惟の写真は愛猫を撮った「愛しのチロ」、妻との新婚旅行を綴った「センチメンタルな旅」が有名だが、

初期の「さっちん」、下町の大衆を撮ったものが非常によい

(中略)

ちなみに、篠山紀信アラーキーとの写真をめぐる論争が過去にあったらしい。

岡本太郎は父親・一平の死後、その死に顔をスケッチしているし、倫理的な問題こそあれ、表現としては非常に愛情に溢れたものだと思う。

以下、wikipediaより。

「センチメンタルな旅・冬の旅」論争

「センチメンタルな旅・冬の旅」出版に合わせて、荒木と篠山紀信が対談を行い、新潮社の雑誌「波」(1991年2月発行)に掲載された。この中で、妻の死に顔を写真に撮り、それを発表した行為が篠山紀信にとって許すことができず、その後しばらくのあいだ絶交状態が続いた。

荒木、篠山の写真に対する考え方の違いがこの論争を生んだ。

父からの返事

アラーキーの写真は、40年ほど前、彼が写真家として活躍し始めた頃から『朝日カメラ』だったと思うが、毎月楽しみにしていた。一見して「あっ、これはアラーキーの写真だ」と感じられる独特の雰囲気が漂っていた。

奥さんの死に顔の写真も同じ雑誌で見た記憶がある。その当時は、なぜわざわざこんな写真を公表するのだろうかと思ったが、そうせざるを得ないほど濃密な関係が彼の夫婦の間にあったのだろうと思う。それは最も身近な被写体であり、早死にした奥さんへの彼なりの精一杯の感謝と愛情の表れだったのだろう。

そういう彼の気持ちへの理解を抜きにしては彼の写真と彼の写真活動を正しく理解できないのでは、と思う。

先日、大学時代の後輩から40年ぶりの便り(メール)があって、彼のブログを読んでいたら、大好きな祖母が死んだときの詳しい様子、葬式前後の様子とともに、「おばあちゃんの死に顔」の写真も紹介されていた。彼にとっては、そういう形で祖母への感謝の気持ちを表現せざるを得なかったのだろう。アラーキーの気持ちに通じるものがあるようだ。

篠山紀信は大道具と大人数の力を借りてやっと写真家になっているようなところがある。しかし、アラーキーはそんなメッキだらけの仮想現実よりも、道具も人手も借りずにカメラ一台で現実に切り込むような写真家だろう。

なるほど、と。
アラーキーはセンセーショナルな緊縛写真等からエロ写真家とのレッテルを貼られがちではあるのだが、彼の本分はそこにあるわけではないだろう。

たしかにカメラ一台で、被写体の奥の奥まで踏み入って行く様な、得も言われぬ生っぽさ(人間らしさ)がある。
それが性的な表現であるとの倫理バッシングがあろうとも、人間が生きてゆく以上、陰毛も性器も性行為も存在しうるわけであるし、宗教・文化的な道徳的価値観から彼の作品を有害と決めつけることには関しては、慎重な注意が必要だ。

ソフトフォーカスやモデルの目線、ポージング、はたまた昨今のフォトレタッチ技術の進歩により、被写体の綺麗な部分を撮る「商品」としての写真は数有れど、毛穴の一つ一つ、細胞のひとつひとつまで寄り添って印画紙に写し取ろうとした人間は少ないだろう。
アラーキーはロマンチストであり、同時にリアリストだ。

病気で死に往く愛妻の傍らで、ただ現実を見つめ、写真を撮ることでしか気持ちを整理出来なかったのではないだろうか。
妻との生活、そして別れという大きな物語の中に、その最期は収められてしかるべき一枚なのではなかったのか。
わたしにはそう思えてならない。