14歳

14歳という年齢は、こと日本においては特別な意味を持つ。
アニメ「エヴァンゲリオン」の搭乗パイロットたちも14歳。

第2次性徴を迎え、かわってゆく自身の体と心のバランスが不安定で、大人でもなく子供でもない。
自我の発達に伴って悩み苦しみ、受験という大きな試練を目の前に突きつけられる。

遊んでいられない、ガラスみたいに危うい年齢。


我が家は厳格で、NHKとニュース番組以外のテレビはほとんど見させてもらえなかったように思う。
同級生の家へお泊まりに行くのもだめ(大人の浮気じゃなくて、単に子供のパジャマパーティーですよ。)、添加物をすべて排除した健康食、漫画やバラエティー番組、テレビゲームもだめ。

同級生に「光GENJIの誰が好き?」と問われても誰一人わからない。
「僕のポテトはチンチンチン♪」なんてCMでやられちゃっても
「下品な!」と親から一喝。

(その後、超お下品な大人街道ぶっちぎりになるわけですが。。。)

わたしが育ったのは中国地方の寒村で、人口3万に満たない小さな町。
両親は仕事のために都会から入居した「ヨソモノ」で、教師と主夫。
そして裏の顔は市民運動家

(つまりそれ、ひぐらしのなく頃に的な!!どうかパラレルワールドでありませんように、この世界が!!)

両親が正義感から行うあれこれの運動のおかげで、わたしたちきょうだいはどこにも居場所を見いだせなかった。

恨んだ。恨みましたとも。
人も土地もなにもかも。

「友達を選ぶ」ということも、「友達を新しく作る」ということもままならない環境。
毎日毎日、優等生のふりをして学校に通い、泣ける場所は風呂と布団の中だけ。

不登校保健室登校、非行〜そんなこともできなかったな。

親が「センセイ」様だから。
学校に行けども買い物に行けども、いつでもどこでも「センセイの娘」。
家庭にいすわる「センセイ」は外でも偉い人で、恥をかせるわけにもいかない、トラブルもおこせない。
小中高で、母の教え子4人に授業を受けた。
やってらんなかった。

そんな母は「やんちゃな男子中学生」の世話がうまく、町を歩けばヤクザまがいのこわいおじさんから「センセイ!」と声をかけられることもしばしば。

なんでも4キロ離れた家から我が家まで裸足で夜道を駆けて家出してきた教え子の世話なんぞをしていたとか。
校庭裏でタバコをふかす女生徒をたしなめるのもうまかったように聞く。

つまり母は「不良生徒」の扱いがうまい「センセイ」で、「優等生になるしかなかった我が子」の「母親」には向かなかった人種だろう。


家の中で母のことを「センセイ」と呼んでしまったことがある。

かつてわたしたちの関係は、そのようなものだった。

14歳のとき、隣町の同い年の男の子がいじめによる自殺をした。
大きく報道され、波紋を呼んだ。

ニュースを見ながら母が軽く放ったひとこと。
「あんたは自殺なんてしないわよね」

瞬間、心を閉ざした。

死にたくても死ねない環境の人間が目の前にいる。
あなたの娘ですよ。
ひきつった笑顔で毎日終わりなき日常に辟易しながら登校。
ただただ、早く外に出られる好機を狙っていた。

固まった笑みの後ろにどんな気持ちがあるのか、
真面目な優等生の「よいこ」の気持ちがどんなものか、母にはわからない。


勉強して勉強して、18歳で関東の大学まで逃げた。
格通知を受け取った時、嬉しい気持ちはひとつもなかった。
未来への希望も。

わたしは私立の美術大学に行きたくて。
それでも家にお金がなくて父親はなんだか裁判中で。

教職を取れる大学とネームバリューが効く偏差値の高い国立大。
これが進学条件。


ガラスの動物園」という小説がある。
映画化、舞台化されているようだ。
わたしが14歳の頃に見たのは映画。
内向的な主人公のローラの気持ちが、痛いほどわかった。

涙をこらえてブラウン管を見つめていると、横から母の声。
「なんかようわからん映画じゃったわ」

14歳のわたしはまた、心を閉ざした。

ガラスの動物園 (新潮文庫)

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