就職氷河期のこども、に綺羅星。

わたしは98年春の大学入学当時から精神がグラグラしていたみたいで、
以降、長い長いトンネルの中にずっといました。
周りに敷かれたレールのままやってきて、合格通知を受け取ったときには受験戦争に疲弊し、人生が終わったような気になっていた。

そしてまたいっときは、自分の身の回りにあるものすべてが怖くて、絵の具にさわることすら出来なかった。

今でもたまに足下を掬われたりはするのだけれど、
子供の頃からずっとまっしぐらだった絵を諦めることができなくて
30歳を背にして、また活動をしようとしています。

長年書き留めた日記には自分自身と、また周りの世界との闘いが綴られており、
今でも生きにくいたくさんの人に なにかヒントを与えてあげられないか、と少し発表の場を探しています。

あ、そうそう、「ロスジェネ」読んだよ。

ロスジェネ 創刊号

ロスジェネ 創刊号

雨宮処凛さんの生い立ちとか、「生き地獄天国」あたりから触れる機会がなくて知らなかったので、
ああなるほどーと思いました。
立ち居値は違うけれど共感するとことも多く、いつかお会いできることがあったら話してみたいな、と。

わたしは'79年生まれなんだけど,
'76年生まれの兄(そこそこの大学のそこそこの学部に行ってた)と会話した履歴もノート代わりの紙日記に書いていたようで、

'00頃の通話記録で

「本当に就職先がない」「A社は一次落ち、B社は起きたらもう遅刻の時間だったので行かなかった」等々。

心配した親戚がセッティングしたらしい最終選考の面接まで勝ち抜いた某公務員試験も、志望動機を聞かれた時に「会社人間になりたくないから」と吐き捨てて自ら道を塞いだという、きょうだいそろって天の邪鬼すぎる。

彼の精神が荒れていたことも再確認しました。
次いで、家族全体の精神も荒れていたように思う。
社会そのものが灰色の緞帳の中に囲い込まれているような閉塞感もあった。

わたしの先輩も、何十社うけども落ち、鬱になっていった人が居る。
バブル崩壊後、終身雇用崩壊の余波を受けて親がどんどんリストラされて
当時交流のあった同年代にもそんな子はごまんといて、
有名進学校出身で、学校のハイレベルな授業をさらっとかわし、資金にも血縁のバックボーンにも不自由しない生徒もいれば、
母子家庭で週5日生活費のためにバイトしながら大学に通い、泣きながら制作へのつまづきを語り、やっとのことで社会に出て行った子もいます。
女の子の友達は、その後大概がデザイン事務所等に就職したみたいですが、過酷な労働条件のもと、連絡のとれる人はどんどん少なくなってゆきました。

今の私?
心身に障害があってニートです。いわゆるニート
周りにも多いです。
ニート、フリーター、メンタルに障害を患ってなかなか抜け出せない人、職場を点々としつつ疲弊している人、パラサイトシングル。

でも悲観はしてないんだ。
なにか生き残る方法があると思っているから。
そして、見えない社会と一致団結して闘うというやり方以外にも
(つまり親の世代がはしってしまった学生運動みたいなやり方以外にも)
個々のやり方で、近隣に迷惑をかけずして生きやすい世の中の構図を作って行く原動力の歯車のひとつになりうるんじゃないか、とも思っています。
だって、ルサンチマンの固まりと若い怒りの衝動だけでは、社会の仕組みは変わらないでしょう。

分析すること、話をきくこと、自分たちなりの居場所を作ってゆくこと。

いつか、もし私がいつか
生きてて
大好きな人が居たら
この星空を見せてあげたいと思ったこと

'99 8/13

反発し続けた父の右目の視力がもうほとんどないと星空のもとで告白されたときの日記です。


それでも、生きようとしたんだな。
二十歳のわたしは。