自殺展に行って来た。
「自殺展の目標は、自殺展をやめることです。」
自殺展に行って来た。
http://www.nart.jp/jisatsuten
「自殺展の目標は、自殺展をやめることです。」
NARTさん、Nam Hyojunさん、一緒に場を共有されたみなさん、ありがとうございました。
御会いできなかったけれど会田誠さん、いつかお話したいです。
うおう、これは新しい形のインスタレーションかもー、と。
実直な感想です。
コミュニケーションに重きを置いた形です、主催者は大変です。
だって「これなんなの?」って文句つけにくるひといるんですから。
実際、ちょっと目の肥えたわたしでもちょっとわかんないですから。
困った客はロジックで納得してもらうようです。
ああ、一人一人相手するのは、連日連日大変だ。
インスタレーションのイの字を知らない様な人がふらっと入って来る、
きっとそこがポイントです。
わかりやすく説明書きされた作品を勿体深げに鑑賞する金持ちの奥様とは違います。
ケーキバイキングして、午後の紅茶をすすってるバヤイじゃないんです。
あんたの息子さんがいま首に縄かけてるかもよー、と。
マイノリティにしか見えない世界があります。
狭いようで広くて、とても深いです。
社会的マイノリティは自我の目覚めが早いので、自分はいったい何者なんだろうという壁にぶち当たるのもまた早いようです。
自分とは、世界とは、
ひも解いて考えたことのないやつにはわからんかもしれません。
壁にぶち当たる前の免疫機能として、疑問をなげかけることは大切です。
わからないことがわかった、ということがわかったらいいのかもしれません。
特定マイノリティの中に自殺者が少ないという話を聞いて、その差はいったいどこから来るのだろうか、日本は自殺大国だけれど、なんでなのか、みたいなことを会場で話してみました。
ジェネレーションギャップの問題もありますし、地域による文化圏の違いもあります。
高校生の制服の着こなしでも、盛り上がりました。
わたしはコギャル世代どまんなかなわけですが、
ルーズソックスはいまだになくならない。
あれは「カワイイ」を形成するひとつのイコンだと力説したいです。
ガンダムの足元も然り、
手塚治虫の描く少女の足元も末広がりです。
個が抱えるバックボーンはみな違うんです。
単一民族に近いこの小さな島国では、周囲とどれだけ溶け込めるかがポイントのようですが、
息苦しいんですねそれ。
矛盾と疑問を孕んだやつぁどこへ行けと言うか。
禁忌だらけの中でも、堂々とやりたいよね。
恐れてたら何も提示できない。
身に染みました。
タブーぎりぎりのところで勝負してくる人。
きっとわたしもそのひとりなんだろうと思います。
おもしろいかおもしろくないか、
かっこいいかかっこよくないか、
センスなんだと思いますそれ。
ときにエッジギリギリのところを滑る爽快感のようなもの、がほしいのかもしれません。
一人一人が別の崖を登ってて、どこかで合流すんだよね、と先輩アーティストに教わりました。
なるほどねー、と思いました。
ひとりの人間として、
ボーダレスのはだかんぼうで路上に産み落とされたような人間にとって、
帰依する場所、帰る場所がない恐怖は常につきまといます。
「弱い者同士だからー」と言ってつるもうとも思いませんし、
仲良くマスゲームやってろというのも違います。
「俺の言うことを信じろ」という教育を信じられなかった子供は、どこへ行き着くのでしょうか。
自分で居場所を切り開くしかないです。
はたまた、人間的センスは、いったいどこからついてくるんだろうね。
職種年齢性別経歴関係なく、波長のあうひとはあう、よねアレ。
絶妙な心地よい距離感とか。
蔡國強(さいこっきょう)さんの話を全く別の場所で連続して聞きました。
でかいことがやりたいな、と。
でかいことは気持いいな、と。
ちいさくまとまんなよ、と。
また、前に進む力を頂きました。