制作のこと、キノコイベントのこと


先日、飯沢耕太郎さんのイベントで映画「マタンゴ」を知りました。

カワイイのイベントで古今東西のカワイイを全面的に肯定する自信が湧きました。
その定義は人によって違うけれど、いいのよ。
美しいとかカワイイとかカッコイイとか、人によって違っていいのよ。

だって「美醜の美」みたいなテーマでレポート書いてたものわたし。
醜いとされるものに美しさを感じるのはなぜだろう、と疑問に思って、考えてた。
内容は忘れちゃったけど、美学・芸術学の授業で。金田千秋さんの授業。
難しかったけれどとてもおもしろかった。

ちなみに、教科書はこれだった。
九鬼 周造 「いき」の構造

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

未だに完読はしていないけれど、いつか読めたらな、って本棚に入れてある。

応援してくれ、してくれ、みなさまー。

今日は風邪で寝てます。

熱が出て寝ているので、やさしさが身にしみます。

今ちゃんと看病してくれた人にはいいことシールいっぱいあげます(бμб)

やさしさ成分は
プライスレス!!

バファリンの半分と世界の半分はやさしさでできている。


                      、たぶん。

大声で言いたいこと。

恥ずかしいほうへ転んでみなさいよーてこと。
うひゃひゃって笑って踊れるようになったら儲けもんですぜ、って感じの祭りレベル。
だって内輪でひっつきもっつきのコミューンとかくさるほどみてきたもん。
風通しのいい場所で堂々と好きなことをやりたいわけ。

真面目に遊ぶの。
本気で遊ぶの。
そのためにがんばるの。

なんかさ、革命とか、大それたことぁ考えとらんよ。
いくらでもこじつけはできるけど、やる前に頭かかえて動けなくなったらなんも残らんじゃない。
やってみてから考える。

だって、19歳くらいでさ、考えすぎてかけなくなったもんわたし。
精神崩壊おこしたよ。


離人症を長年患ったよ。
それね、生殺しの地獄なの。

どうして殺してくれないんだ、って通り魔の事件見るたびに思ってた。
入院とか療養させてくれって言っても医者がオーケーっていわないから
とりあえず生きてた。

そのころ見える世界は、モノクロだった。
今はちゃんとカラーで見える。
いまんとこ蛍光ピンクが一番ビビッドに視覚に突き刺さる。

99年。
長くて深いスランプがあって、それを打ち破るために思い切って絵の具を出して
スケッチブックの上で手で混ぜた。
そのときの色はね、深い深い青色と、蛍光ピンク。

無意識下でわかっていたんだろうね、それ、アカデミックな教育の場所では使わせてもらえなかった色だからね。
黒とかもね、黒色チューブ禁止なわけ、高校の美術コースでは。
いわゆる日本の権威のある大学の油科を出たひとが先生になって、そのやり方で生徒を教育してたから。
普通科だけど美術教諭だけで5人くらいいるのね。

で、受験用のデッサンとかが重視の予備校訓練みたいな軍隊式なのだけれど、
ものを描くときに、混色して全部作れ、といわれるわけ。
絵の具の生の色を画面に乗せるな、と。
まあそんな感じよね、西洋美術の流れの絵画教育って。

子供の頃にも「三原色」っていう書き方で、赤、青、黄のチューブから全部の色を作って色を乗せる方法とか知って、写生大会で一人でためしてたりしてたの。

で、玩具とかもね、うちはプラスチックとか色のけばいものとかおやつの着色料とか全部禁止なの。
色のついてない積み木で、シュタイナー教育みたいな、スポック博士とか暮らしの手帳が教科書みたいな育児で、厳格なの。

ペンテルとかサクラとか日本の会社が作ってる12色の絵の具にない色が好きなわけだけど、ないんだな。
子供なめんな!ってたぶん思ってたね当時w
ない色だけど欲しい色とかあるから、自分でクレヨン混ぜたりした。

アカデミック教育を受けて世に出てみたら、色んな表現で活動してる人がいて、

たとえばデザインとか印刷媒体だと、蛍光色もK100%も箔押しもあるわけ。

そのへんはね、きっと既存の、わたしが受けて来た教育の壁をつきやぶりたい年頃だと思うわけさ。

わたしは22歳の時に実姉を失っているのだけれど、
姉が死んだときね、感情も失って。
自分の半分が、半身がすっぽり抜け落ちた感じ。

でさ、オピニオン的にここに書き出してみるよ。
ちょっとPMSきてるから、辛口でごめんなさいね。

キノコカルチャーですよ。今企画書書いてるのよ。
キノコイベントですよ。

ただたんにキノコが好きで、カワイイもんと楽しいもんが好きで、それを貫き通しましたぜ、ていう身の回りレベルの発信だよ、最初は。
まあ乗らないひとはスルーすればいいし、
「あいつらなんか楽しそうねー、声かけてみよっかな」っていうやつは寄ってくるだろうし。

遠足ですからね。ピクニックですからね。
レイブと同じですからね。
恥とか言ってらんないの。
服が汚れるとか、変な動物に噛まれるとか、日焼けするとか、どうでもいいの。
むしろそんなアクシデントも笑い話にして楽しめる環境がいいわけ。
泥まみれでも、キノコ狩ってれば楽しいわけよ。
レスポンスがあると楽しいじゃない?

結果的に生きてる感じとかちょっと幸せな気分とか、じんわり味わえたらいいじゃない?
周囲がどうとるとか、そこまで考えられんよ。
批評家は勝手に批評すればいいじゃない。

活字いっぱいの本とかね、なんか高尚な感じのものはね、要らないわけ。
だってね、たぶんかつては敏腕編集長だったと思う飯沢さんが、ウッキウッキで歌ってたのよ。

そのノリって大切じゃない?
普段眉間に皺寄せてても、もーやだ、好きなことする!って瞬間くるんだよ、真面目は奴ぁね。



中条正義さんがね「努力しないでデザイナーになる方法」って本でね
「体調はちょっと悪い方がいい」って格言残してんのよ。
それ当たってるよね、って思う。

自分にいい聞かせつつ、闘ってる人の言葉は響く。

仲条正義の仕事と周辺―『努力しないで、デザイナーになる方法』 (Director and Designer SCAN)

仲条正義の仕事と周辺―『努力しないで、デザイナーになる方法』 (Director and Designer SCAN)

これね、中学のときに少ない小遣いで買ったんだけど、かっこえーなーって今でも思うわけ。

「体調は少し悪い方がいい」
「知的に見えるものはダサイ。」
「高級車や豪華住宅を持ちたがるのは、権力を持てない職業の特徴である」
エトセトラエトセトラ。。。

今日はそんなとこ。


00年 ウサギ。