がんばれわたしの白血球
もう心底疲れたし、
痛みや何やらが止まらない夜、
ふと頭をよぎった歌は「明日死ぬのよ」。
自作最高!!
たくさんの憂鬱な子供たちが、えもいわれぬ複雑な表情で、あの曲を合唱する様子を想像した。
制服のボタンをとめつつ。
ランドセルの波に揉まれつ。
布団から出てこれないあの子も、お母さんも。
朝礼でオウム返しの校長先生も。
だいたい、日常生活において「明日死ぬ(かもしれない)」という場面に遭遇する瞬間は実に稀だ。
故に我々ニンゲンは、「明日訪れる死」のリアリティに鈍感になりすぎ、日々の生をおろそかにするのではないのかね。
「メメント・モリ」とは、死が身近にあった時代の言葉である。
からっぽの気持ちのとき、どんな絵を描いたらいいのかわかんない。
鼻の奥と咽喉が気持ちわるい。
頭がまた散漫になってきた。
今日は大切な人の誕生日なので、無事に一日を終えたい。
もし生きてたら、の「if」の部分を考えるほどロマンチストじゃない。
もし、が通ればいなかったのはわたしの方かもしれなくて、こうやって携帯電話からブログを書いたりしてないもんね。
パラレルワールドがあるなら見せて欲しいよ、かみさまとやら。
血まみれの土曜日(医療行為にて)
血や組織液やら色々付いたガーゼが左右から4本ずつ出てきた。
鮮血が垂れ、痛みに顔をゆがめる。
生きてるんだな。
この体は。