ラスコーの壁画みたいに。
生活の中にある苦労は余命幾ばくかを数える暮らしの儚さや耽美と格を逸す。
彼の3倍の歴史を生きているわたしが
しりとりを考える。
AからZ
或は
「あ」から「ん」
までの。
筆談によるコミュニケーション。
新しいフォントが産まれるかもしれない、という予感。
そう、同じく子供の頃
恥ずかしがりやで寡黙だったわたしが唯一心を開いた世界が絵だったから。
あの子は孤高の人なんよ
同級生と遊べない娘を説明するのに使った父の言葉。
不器用ながら、愛されていたことを今更感じる。
そしてふと、彼がいなくなった後の世界を予感して、
からっぽな気持ちになる。
そうか、いつかお別れだったっけなあ。
人と人が出会うと、
もうそこからリンクが貼られる。
最後は生き別れか死に別れ
しかない。
でも空気は、残るかな。
ラスコーの壁画みたいに。