岡山にて

興奮したまま寝ずに新幹線。
東京は浅い雨。
空港は遠いので飛行機は使わず。
車酔いが復活したので夜行バスも使わず。
寝台列車が好きなんだけど、みどりの窓口に行かないと空席状況が確認できないのかな?
もう人生のうちに数えられない回数をお世話になっている新幹線。

緑が近くなって来ると夏の誘惑。
同じ緑といえども、関東の緑と岡山南部の緑、北部の緑はぜんぜん違うの。
三原や岩国まで行ってしまう在来線には、バックパッカーらしき外国人をたくさん見かける。
それはもう、都心で暮らす外国人の種類とはまったく違うもので、西国なんだな、ということを強く意識する。

こんなに簡単に移動出来るものだったか。

こんなに簡単に繋がるものだったのか。


「世界は広いようで狭い」
と知人に言ったら
「あなたの世界が広がったんだよ」
と言われた。

世界を見るレンズは、自分次第だと再び感じる。

エレベーターもエスカレーターもない駅の階段を
旅行バッグを抱えて昇降する。
ICOCA普及で自動改札になってしまった駅には駅員がいなかった。

カンカン照りの中、改札の向こうからひょっこり父の顔。

我々の関係は、かなりニュートラルになってきた。

戦時下に産まれ、そう先の長くない人間だということを知ると、彼の生涯が遺したものを伝えたくもなる。

今や皺だらけになった手で、おむつを替えてくれていた。
日曜大工中にドリルに軍手を巻き込まれて骨折し
爪の生えて来ない歪んだ指。
Fのコードが抑えられない短めの小指。
間違いなく同じ遺伝子を受け継いでしまったわたしの、短い小指。

新しいデジカメを注文する。

「葬式写真はあんたが撮れ」
笑いながらそう言われ、笑いながら受け答えする。

わたし以外に誰が撮れるっていうんだ?
みそ汁が嫌いで泣いている娘の顔を撮り続けたカメラマンに、誰が対峙するっていうんだ?

写真館の記念写真じゃなくて、一番身近な人の手で切り取りたい。

思えば姉の写真も、わたしが写したものになってしまった。

この先、葬式に使えるとっておきの写真を何枚撮れるかな。

とっくに亡くなった父方祖父の顔は、一枚の写真でしか知らない。


いつか自分の絵のことを「弔い」と言った気がするが、動機も表現も、もっともっとinnosentでありたい。

「祈り」「野辺送り」「母性」。

あの世とこの世を繋ぐ翻訳家、巫女として生きるのだと感じた。

言葉の通じない世界のものと、言葉を使う生き物の間の触媒。


樹木葬」という言葉を知る。

やってたよ。

死んじゃったにゃんこを土に埋めて、お花とお手紙を入れて、上に樹を植えてた。


わたしも、いつかこの星の栄養になれますように。