今日の遺作

新宿駅で腰の激痛と麻痺、しびれににた何かに捉えられて
うずくまった。
都会の駅は非情で、みんな急ぎ足で誰も助けてくれない。
痛み止めも飲んだのに。
コルセットもしてるのに。
お医者様には、渋い顔をされながらも現状維持って言われてるのに。
これ以上なにをしたらいいんだろう。
骨の位置がまた変なところにあるのは知ってる。
もう歩き回らない方がいいのかとさえ思う。

痛くて苦しくて、涙をボロボロ流しながら右足をひきずって帰った。

この暮らしもいつ終わるかわからないから、
絵描きとしてできるだけのことをしておこうと
朝方、キャンバスに向かう。

フリーダ・カーロを思い出す。
ベッドに寝込む生活になったら、だれかキャンバスを設置してくれますか。

岡本太郎さんの痛ましき腕の21世紀バージョン、
太郎さん、もしあなたと話せるのなら、この腕に何が必要なのか語りたい。

大好きなパウル・クレー
古本屋で買った200円の古い画集に、さえずり機械が載ってなかった。

10年前のわたしへ
あの絵には色がついたよ。
太陽と、翻るスカートがついたよ。

「母はなぜわたしを堕胎してくれなかったのか」

あの頃ずっと感じていた思い。
この大地の上に立っている不安と恐怖。

「ただ老いぼれてゆくだけだ」
とのたもうた家族に、何が返せただろう。

芥川の小説に「河童」というものがある。
河童は産まれる前に「産まれたいかどうか」を子供に聞く。
わたしが河童だったら
「あなたたちのような親のもとには産まれたくない」と拒否したはずだ。

10年前には、そのように思っていた。

あれだけ憎んだけれど
憎んだ分だけ愛してる。

土地も、人も。この世界も。


崖っぷちで落っこちそうでも
今のわたしは最期に踊るんだ。

それだけは真実。
目が見えるうちに。

筆を折る決意した日記が出て来た。

でも今のわたし、描いてる。

死ぬまでに
世に出したいと思ってる。