つれづれ

痛みを前にして、人はただ無力。

持病の腰痛が続く寒い日々。

寒いと筋肉が硬くなる→運動してほぐしたいけれど運動も苦手→そもそも痛みで動けない

悪循環ですね。

常時からだに痛みがあるのっていやなもんです。
誰を恨むことも出来ないし、恨んだところで心がくさくさするだけ。

寝込むと気持ちも淀んで行くので、心に悪いイメージを溜め込まないように気をつけております。

禅僧の記した本をぼちぼちと読んでおります。
とかくあるがままでいたいと、そう存じます。

知人のイベントなども直前でキャンセルすることが多く、申し訳ない気持ちになるのですが、どうにも体力が落ちているようなのでご容赦ください。

わたくしなんぞは寒いのが幼少時より苦手でして、この時期どうやって過ごしていたのか、どうも過去の記憶が定かでない。
ほとんど寝て暮らしてたんじゃないかと思えてきます。
いやはや、今年はよく起き、よく活動している。

寝起きがすっきりしないのは子供の頃からのことで、
幼稚園の頃、ストーブの前でウトウトしてほぼ意識を失い、スクールバスに間に合わないと慌てた親が着替えさせ、園で「あなたはまだひとりで着替えが出来ないの?」とあらぬ疑いをかけられたことがあります。
「まだ出来ない」じゃなくてね、眠くて起きてられないの。わかんないお人だなあ。

とまあこんな風に、5歳児が感じた「大人のこういう発言や態度は嫌い」というのが未だに記憶されてたりするので、小さい子だからといって侮るなかれ。
そのときはうまく表現できなかったけれど、ちゃんと見てるし感じ取ってるよ。

周囲の大人の苛つきや、焦りや、不安。
逆に、おおらかさや優しさ、愛情も。

子持ちの友達が多くなってきて、考えることも少し変わってきました。

あたりまえだけれど、完璧な親なんていないのね。
完璧なふりをする親はたまにいて、でもそれって子供に隙がなくなるからとっても苦しい家庭になるんだよね。

体の中に心臓が二つある不思議を覚えて、命がやどった最初の記憶を大事にしてゆける、素敵なお母さんが増えるといいなと思います。

不況だから産めない、育てられないだとか、なんだかね、切ないもの。

愛があって、のぞまれて産まれてきた、そのことが大切で、覚えておいてほしいし、知っておいてほしいこと。


まだまだ未熟なりに、立派なお母さん、家庭思いのお父さんになった友達たちの力に背中を押してもらっています。

一緒に育ててもらっていると言った方がいいのかな。
とかく、日々勉強です。

彼らの子に、光のさす未来を見せてあげたい。



体調が悪いと伝えると「お大事に」とか「ご自愛ください」という言葉を多くいただきます。

「自愛」〜自らその身を大切にすること。



しっかり栄養をとって、日々大切に生き、元気でありたいと思います。