幼少期より即決即断の苦手なまくずです。

おかいもの。
遠足の前の日、近所の日用雑貨店で200円分のおやつを買うのに一時間以上あれこれ迷ってやっと決める、そんな子。

だって、市販のお菓子は禁止されてたんですもん。
お小遣いもない。

やっと訪れたチャンスだから、最上の組み合わせで挑みたい。

思えばそうやって様々なことに制約があったからこそ、限られたものの中で創意工夫することが身に付いたのかもしれません。


だいたいにおいて、

第1印象がすべて。

パッと目に飛び込んで来たもの
たぶんそれで間違いない。

グルグル迷って「ちょっと鈍いデザインだなあ、ピンとこない」と思うものを手元に持っていると、やはりその後も使う気にならないのです。

感電するような衝撃とエッジの効いた色柄、無駄のなさと遊び心。

そんなものに惹かれます。

動物的な勘。


ところで花粉、どうにかなりませんかね。
季節の変わり目はアトピーがひどくなるので
全身を馬油、フェルゼアローションで浅漬け中です。

痒いって痛いより辛い。
かきむしった皮膚にメンソールを流し込んでヒリヒリ痛みに耐える、方がまだまし。

外出用にゴーグルがほしい。


最近は魂のことについて考えております。

理詰めになると苦しい。
ハイチの災害があって、阪神淡路大震災から15年目を迎え、考えることが多々あります。

狭い仲間内のコミュニティで安寧している人間にはなりたくないなあ、と。

もちろんそういう生き方もありだし、身を守るには有用だと思いますが、いざというときに動けなくてどうするという思考に最終的にはありついてしまいます。

「平和を願っちゃいるけど行動せず」なひとのことを思い出し、目の前の刹那な快楽に逃げるのは簡単だけれど、根本的な解決にならないんだよ、とひっそり思いました。

偽善、欺瞞、自己満足、メサイアコンプレックス

人に親切の押し売りを与える前に、自分が何によって満たされているか、静かにみつめてほしい。

・小学生の頃、「小さな親切、大きなお世話」と言ったら担任にえっらい怒られました。
言葉の真実の意味はわからなかったけれど、なんとなくその通りだなあと思ったので。

・同じころ、小食のわたしがどうしても給食を完食できずにつっついていると、残った給食の残飯のごはんを見た担任が「アフリカで飢餓に苦しんでいる子供たちのことを考えなさい」と言いました。
目の前にはたしかに炊きあがった大量のご飯があるけれど、食べたくないし食べられない。
疑問に思って「じゃあアフリカに言ってその子供たちに配らないんですか?」って聞き返しました。
先生は沈黙してしまった。


真実を鋭く見抜く目と情報のアンテナの張り方、過去の間違いから学ぶこと、相手を知ること。


気がふさぎ込んで動けないこともあるけれど
考えなくなることはないと思うし
寝込んでいる時は「時が熟すのを待とう」と考えるようこころがけています。


病、老、死。
生きている限りどれも避けられない、万人へのしかかってくる事実。

わりと人生の早い時期に病、死について触れ、苦しんだり考えたりする機会があったので、限りある生を貫き通すことに興味を持っています。

病、老、死。

永遠の命題であるこれらとどうやって共存してゆくか、その答えや指針を示すことが大切なんじゃないかな。

ただやみくもにポジティブシンキングだと言ったり、問題から目をそらそうとしてもしても、いつか向き合わなくちゃならないから。

death education.

友人がいつか発した言葉。
「死の準備教育」



どれだけ自分を痛めつけても、医療の現場に行くと
症状を軽くしようとするし、命を救おうとする。
過失でうっかり死んでしまえば、わたしも楽だし遺されたものも闘う相手ができて楽だろうなあ、と考えたこともあります。

でも、助けてくれたひとたちの気持ちに背けない。

すべてのひとたちにお礼を言ってまわることはできないけれど、こうやって小さい場所ながらも活動していること、考えを発信していることで、いつかだれかのヒントになればいいな。

届きますように。

たくさんのありがとう。

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最近、マインドの浮世離れ、人間離れが加速度的に進んでいまして、あれ、どこへ向かうのやら、とふわふわ五色の雲に乗って流れているのですが

気の合う友人曰く、
「きみは異界に片足突っ込んだ人間」らしいです。

「棺桶に片足突っ込んだ」じゃなくてよかった、かな。