半径5mの視線

飯沢耕太郎さんの『「女の子写真」の時代』をちらっと眺めた。
「ガールズフォト」というジャンルができちゃってから、
二十歳そこそこのころは居心地の悪い思いもしたのだけれど、

(つまりそれは、自身が若い女子であるということから生じる同属嫌悪的な複雑な感情があったり、首からカメラを下げただけのファッションの一部としてのカメラ、という存在に傷ついていたのだけれども)

でも今思うことは、、写真を撮るのも、見るのも、好きだってこと。

これはイメージの域を出ないのだけれど、
半径5mの視線で切り取るというガールズフォトの写真には
戦場も風景も、ましてや商業的なブツ撮りなんてものも入らないのだろう。

けれど、
10年前のわたしはたしかに女の子で、
一眼レフのカメラを持っていて、フィルムを入れて、巻いて、絞りやピントを合わせて、一枚ずつ撮っていた。
人間を撮るのは怖いから、アパートの周りの木や、田んぼや、公園の水や、道路脇の花や、朽ちたドアや、誰も貼っていない選挙ポスターや、自分の脚や、川や。

そしてその一連のことを、一度は諦めた。
腰が痛くて、機材が持ち歩けないこと。
それから、ファインダー越しに、アマチュアカメラマンだった父の強迫観念が襲って来て、
「自分が何を撮りたいか」じゃなく、「父ならどう撮るか」という思いでいっぱいになってしまったから。

軽く薄く安価なデジカメが出て、気持ちとしてはとても楽になった。
印刷されたものが好きだけど。
発表の契機それ自体は、web上にもある。

そして半径5mの視線。

最近つねに思うんだけれど、
この「目の前にあるすてきなことを記録したい」の感情が
周囲に溢れているんだ。

そう感じるんだ。

だから、半径5mの視線は否定しようがない。

(つづく)