ゆめをみた

人類は、永遠運動の日常の中で生きていた。
その世界には、生殖や老いや死の概念がなかった。
ヒトは、公園にある給水機のような生命維持装置から、若返りの水を定期的に摂取し、生きていた。

わたしは何の理由からか、人里を離れて一人で暮らすこととなった。山籠りである。
相棒は、オスの日本犬。こいつは、時々人里に降りては、いたずらを働いた。
彼がヒト語を話すときは、決まって人間を食い殺し、その皮を被って公衆電話から電話してくる時だった。
やはりイヌはイヌ。人間の声帯を使わないと、ヒト語を喋れないらしい。
「オレだよ。アサノだよ。あ、今日はビジネスホテルに泊まるから帰らないからね。」
サラリーマンの振りをした相棒の日本犬は、いつも「アサノ」と名乗った。

あるときアサノは、婦人用つっかけを頭に被って帰って来た。
ウッドソールで、甲の部分の黒い革地に白いレースが施された、家庭用つっかけにしては妙に愛らしい品だった。
それはアサノの両耳の間にすっぽりと納まり、まるであつらえたかのようにピッタリだった。
ロンドンの兵隊の帽子みたいだな、そう思った。
街を見下ろすと、履物がなくて困っている中年女性の姿が見えた。
「アサノ、そのつっかけを気に入ってるのは構わないけどさ、あの人困ってるよ。返してこいよ。」
アサノは仕方なく、また人里へ降りて行った。
アサノがつっかけを返しに行った場所は、どこかの託児所だった。
歩き始めの幼児が、アサノがそっと置いて行った靴を見て、履こうとしていた。
つっかけは、いつの間にかピンヒールのミュールに変わっていた。クリアピンクで、日に透かすとキラキラとラメの光る、乙女なミュール。
それを最初に履いたのは、三歳くらいの男の子だった。
男児はもう、一生の履物を赤いミュールと決めたようだった。

あるときわたしは、人里にこっそり降りたついでに、かつて日常的に飲んでいた給水装置に目が止まった。
ふと自分の姿を見ると、いつのまにやら皺や染みがたくさん出来ていた。白髪に覆われた頭髪。
ああ、わたしは老いたのだ。もう老人と呼ばれる姿になってしまった。若い頃、まだ街で暮らしていた頃、わたしはそういう姿をしていたのだろう?
久方ぶりとなる若返りの水を、掌に掬って、何度も飲んだ。
飲めば飲む程、肌は水分と弾力を取り戻し、黒髪は艶やかになった。
ああ、かつてこの姿の時、世界に怖いものは何もないと思っていた。
なんだか満ち足りた気持ちと、それでいて後ろめたい気持ちを抱えながら、山へと、帰途についた。

山についたわたしは目を疑った。
青々と茂っていた森が、すべて枯れ、朽ち果て、不毛の地となっていた。そこには生き物の気配が全くなかった。
俗世を捨てた身である自分が、俗世に触れた天罰であろうか?
パニックに陥りながら、わたしはアサノの名を呼び続けた。
「アサノ!アサノ!」
お願いだから生きていてくれ、せめてどこに消えたか教えてくれ。

時空が歪むのを感じた。
永遠に彷徨う魂。その救い様の無さ。

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目覚めてしばらく惚けていた。
猫派の自分にとって、犬が人生の伴侶となる夢は初めてだ。
そもそも自称「アサノ」という日本犬の、どこにも心当たりがない。「アサノ」にも、「日本犬」にも。
太腿チラリで雲から落ちた仙人じゃあるまいし、俗世を離れたいという願望もないし、その世界にて「正」とされる行為(若返り)で後ろめたい気持ちになるのも、その結果かなんだかわからないけれど、居住地の山が全部死んでるってどういうことよ?
ビジュアル的にかなり怖かったぞ。
松枯れの禿げ山は岡山にも多いけど、枯れ葉、枯れ山にも微生物の働きくらいは感じられたんだがなあ。

とりあえず「アサノ」という名の日本犬に心当たりのある方は報告お願いします。