ゆめをみた

バイオリズムがヘンなので眠ると夢ばかり見ます。

先日は「7回連続 トヨエツ主演 悲劇のヒーロー 日本沈没もの」
というとんでもないものを見まして、起きたらトヨエツが嫌いになっていました。
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それから、最近よく架空の街での夢を見るんですが、一体どこなのか、本当に知りたいです。頭の中にあるらしい、わたしの街。

その街の中心にはJRの駅があって、たまに地下鉄駅と繋がってたりします。巨大な雑居ビルがあって、百貨店とジャスコを兼ねてます。本が欲しいと願えば本屋が出て来ます。伊勢丹×中野ブロードウェー÷2みたいな感じ。ブランドものの服の一方で古本屋とかもある。
駅から南に出て左手にずーっと歩くと、海辺に沿って東南アジアのマーケットみたいな繁華街があります。生活臭は少なくて、裏原宿の南国版みたいな感じです。ラスタカラーに身を包んだ若い経営者たちが気ままに店を開いてます。その先にTDLみたいなテーマパークもありますが、なんかゆるくて、経営者都合で開いたり閉まったりするみたいです。この地区は開放的な雰囲気で、行きやすいです。
駅から北側に出ると閑静な昔ながらの住宅街があります。西荻窪豆千代みたいな着物を扱う店があって、そこには全国から着物女子が押し寄せます。呉服店のすぐ先は田園地帯で、自転車に乗った中学生が通学してたりします。
駅から出てすぐの角には小振りのお洒落眼鏡屋さんがあって、わたしはいつもそこで眼鏡を調達するようです。
昭和の繁華街の名残が残るその周辺は、昔ながらのパチンコ屋とか喫茶店などがあります。

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昨日は夜中にちっとも眠剤が効かなくて、朝になってから身体の疲れの為に寝たのですが、やっぱりヘンな夢でした。

南青山の教会で結婚式があって、招待されてるのででかける。
何故かその場所を訪れるのは3度目で、一度は兄の式、もう一度は誰かの式だったんだけど思い出せない。
ガーデンパーティーの立食会で、西洋庭園のような素敵な場所だった。薔薇の茂みがあったり。すぐ脇を見ると恵比寿駅がある。
新郎はねじまきのパーティー仲間だった。新婦はJリーガー時代のナカタのヒデの元彼女だった。わたしは大学時代に仲の良かったJリーグ好きの女子から、「他大学のミスコン制覇者みたいな人で、Jリーガーキラーがいる」と彼女の噂を事前に聞いていた。
新郎がサッカー関係者かどうかは知らない。
立食会は持ち寄りっぽくて、シェフの作った料理から、パーティー参加者がよく作るタイカレーやタンドリーチキンまで色々だった。手作り感にあふれた式で、たくさんの風船がそこら中にあって、紙皿を持って移動する参加者たちは、最後の後片付けまでみんなで一緒にするみたい。新郎新婦の両親たちはこの軽いノリについてゆけず、燕尾服や黒留袖でカチンコチンになっていた。
直径20cmほどの手作りケーキがあったから3/4ほど食っちゃったら、どうやらそれがメインの(ケーキカットに使う)ケーキだったらしく、犯人とばれないようにそっと席を立つ。
教会のお手洗いを利用して外に出たら大雨で、せっかく広げた御馳走もドレスもビシャビシャで、みんな屋内に避難してくる。

側にあったハイファッション誌を広げると、スーパーモデルたちが年代別に流行ったデザインの様々なウエディングドレスを着てて、中にはブリトニー・スピアーズがモデルのもあった。年中ラリってる米国女子というイメージしかなかったけど、写真の中の彼女は透けるような肌とプラチナブロンドで、すごくかわいかった。80年代のは、パッパラパーな感じが否めなくて、いくら80’sリバイバルつってもそのままは使えないよなーと思った。
ミニスカートの素敵なカッティングのをイイナと思ったけど、20代後半戦に入った自分の足の太さを思い出して「やはり隠せるものは隠した方がいい」との結論に。つーか着るつもりか、自分。

あとは細々としたディティールばかりが出て来て、書くと切りがない。
ねじまきにもらったのが2連リングにダイヤが大小3つずつ付いてる豪奢なデザインに脳内置換されてたり、左手には自分で雑貨屋さんで買った古美金色のセーラーモチーフの指輪があったり。縄をなったフォルムで、錨だか船のハンドルだかの形をしてて。
ぺったんこのバレエシューズをウェッジソールもどきにする、付け外しの可能な木底だけが売られてたり。
結婚前の女子が白いピンヒールのパンプスで歩く練習をしてる風景を、天鵞絨尽くしの螺旋階段の上から見てたり。

目覚めて思うのは、「奥さん」にはなりたかねーけど「花嫁さん」にはなりたいという事実。
幾つになっても少女趣味は捨てられそうもないし、薔薇の咲き乱れる西洋庭園やアーチや、木綿のシンプルなドレスで、髪の毛は無理に結い上げずに自然な感じでおろして、ヒッピーライクに生花を冠にして頭にいっぱい飾って、ブーケも野の花を束ねた質素なもので、とか考え出すと切りがねーのよ。白無垢もいいけどカツラが嫌いだからね。。。継ぎ目とか、無理に作った冨士額とかが嫌い。自髪で結い上げられるならまだしも。
わたしはかつて「ゼクシィ」も何度か買ったけど、テンプレみたいなブライダル産業ばかり載ってて、日本の式ってこんなもんか、と夢を砕かれた思いがした。みんなこんなものに夢を見て、こんなものが幸せの形で、こんなもんで満足して。
釈然としなかった。
気に入るデザインなんてなかったから結婚指輪も買わなかったし、式も挙げなかった。きっと自分が満足するに足るものは、精神的にも経済的にも余裕がある状態でしか始められないと思った。

周囲で式を挙げた人、業者に乗せられるままだと見ててもおもしろくないし、自分たちらしい式を挙げたカップルは素敵だったけど、何やら準備がものすごく大変そうだった。
何にしても女子が一生に(たぶん)一度だけ姫ドレスを着れる機会なのに、胸のない人が胸を強調するシルエットのを着てスカスカだったり、顔の作りが地味なのに奇抜な色のドレスで披露宴に臨んでて痛々しかったり、なんだかそーゆーのがすごく勿体ないと思うのさ。


離婚してすぐ、披露宴兼パーティーに呼ばれる機会があった。
花嫁がドレスのままDJブースに立ち、おなかには赤ちゃんがいた。オールナイトのイベントだった。生き生きとしてた。周りがみな暖かく祝福してた。
すごく羨ましくて、自分の境遇が悲しかった。
辛くて辛くて、外気を吸いに外に出て、泣き崩れた。
人の幸せを妬む自分が惨めで、汚らしくて、消えてしまいたかった。
人間を信じられなくなった傷の回復には、日数が要る。しかるべきデイケアが要る。

22年間連れ添った姉を失った心の傷よりは、5年連れ添った人との別れの方が、心がいくらか軽かった。
精神を病んで世界の何もかもが真っ黒になった経験よりも、離婚の方がわかりやすくて楽だった。

わたしは、再び立ち上がることを選んだ。

だって、生まれてから数えてたった二つ目の「家庭」に失敗したから幸せを感じることを投げ出すなんて、人生、損じゃん。
このまま朽ち果てるには、余りに口惜しいのだ。

また、誰かと家庭を持ってみたい。
生まれも育ちも違う人間と暮らすことで起こる化学反応を、楽しんでみたい。
家の中に話し相手がいるというのは素敵なことだ。
それが親きょうだいじゃなくて、幾多ある出逢いの中で互いに互いを選んだ関係なら、もっと素敵だろう。

綺麗なドレスでみんなに祝福されてみたいし、
貧乏でいいから、畳の部屋に川の地になって子供と眠って、
子と共に土と遊び草と戯れ空を眺め海を見たい。
きっとそれは、子供の頃のわたしの、一番いい想い出の部分と繋がってる。
自分らしくあれ、と教え、ものごとには色んな見方があることを自分で考えるように教え、それ以外は口出しせず。それ以上は期待せず。
ただすくすくと育っていけば、子の人生には干渉せず。
子は子、自分は自分。子は生きる源でこそあれ、生き甲斐の全てではない。
きっとそれは、わたしが親に望んだ事。

何が欲しいって、物欲じゃ満たされない何か。
健康な身体も、もちろん欲しい。
だけどそれは、近づくことこそあれ、決して手に届かないところにある。
沢山の綺麗なものは好きだけど、たった一人の綺麗な心には負けるんだ。

わたしは何の為に生きてるんだろう。

きっと、愛し愛されたいのさ。

臆病になることなかれ。
人間は自分の生き方を変えることができるのだ。

強く、優しく、しなやかに、飛翔せよ。