斑点を念写する。


実家で採れたらしいデカカボチャ。ローカル電車に乗る直前のワクワク。

夏の終わりと夕陽は涙を誘うので苦手なのです。

骨休みのために実家に帰って参りましたが、体中があちこち悲鳴をあげています。
そろそろ鼻中隔湾曲症の手術をしなくちゃね。
腰椎すべり症の検診にも行かなくちゃね。

暗闇でこのデカカボチャを見た時、咄嗟に「草間カボチャね」と反応しました。


先日の同人誌でもご一緒させていただいた斉藤環さんが、草間彌生さんのインタビューと作家論を述べた文章を読みました。
http://d.hatena.ne.jp/pentaxx/20080202/1201936936

トラックバックの仕組み等、まだブロガーとしての知識と経験が浅いのでシステマティックに引用できませんが、ご了承ください。

草間さんのこの感覚は共有できます、というところがありましたので引用させていただきます。

私は自分の病を絵にやっていかなきゃいけないわけなの。サイコアナリシスをしてしまうと、全部発散しちゃって、絵を描く理由がなくなっちゃったの。治った時点で。

描く理由を亡くす恐怖。
ありましたね。いまでもあります。



直島に旅行した時に出会った草間彌生さんのカボチャ。
都の現代美術館で見た、男根のメタファーかと思われるにょろにょろと長いオブジェ。
何より素敵だったのは、ミラーと小さなライトが中に組み込まれており、観覧者複数人が一斉に覗き込む、万華鏡のようなカボチャオブジェ。

いつか読んだ「すみれ強迫」は、制作に行き詰まりを感じて精神的に追いつめられていたわたしにとって、大きな衝撃でした。
[rakuten:book:10711737:detail]

網膜に焼き付く斑点の迫力よ。

「びっくりしゃっくり夜中にドーーン!」


美術畑出身の人間と、ここしばらく頻繁に連絡をとっています。

小さい頃から絵を描き続けていたら、いつのまにかこんな歳になっていた。
なんとなく美大に行ってみたけれど、社会で食う術は教えてもらえない。
ファインアートでは食えないのでデザイン畑に就職してみるが、どうもかっこいいデザインをスマートにこなす事務所などとは相容れない性格である。
感受性が豊かゆえ、生きるのが非常に不器用だ。

そんなひとたち同士、点と点を結び合い、なんとなく繋がってゆくものですね。

描けないなら死ぬまで、と二元論を唱えていたのは若き衝動だったなあ、と。
自分から生きることをリタイアするなんて勿体ない。

一番好きなことを仕事にしちゃいけない、って思ってました。
逃れられなくなるから。(そして今は、好きなことしちゃえばいーじゃん、と思っております。)


10年近く前、お世話になった医師に言われた言葉。

「何も決断できないと言いますが、今日あなたが着ている服は、あなた自身が選びましたね。
 それはあなたが好きな色。好きな形。大切にしなさい。」
「『何も決定しない』というのもまた、大きな決断ですよ。」

その日の服装は、水色のタンクトップに白いスカートでした。キラキラ光る星の形の大きなリング、サンダル。
お化粧もしていたし、マニキュアもしていた。

絵が描けなくても、そうやって生活の一部に「好きなこと」が詰まっていて、無意識に選びとっていることを、まだ当時のわたしは気付きませんでした。

「一番好きなこと」の他に「なんとなく好きなこと」がいくつかあればいい。
肩書きなんて産まれたときには備わってないし、死ぬ時には捨てるものだ。

何かと対話しようとすると、そこには過去の偉大な作家も時空を超えてコミットしてくるので、
年齢や性別を超越した会話のようなものを、作品や発言を通じて感じ取ったりするものです。

目の前の現実生活がどう、とかあんまり関係ないんですね。
社会的なモラルがどうこう、とか
周りの目が、とか
金が入ってこない、恋愛がどうこう、とか
もうそんなことを考えなくてよい境地に入ってくる。


だって、わたしたちはいつも孤独だから。


一人で産まれて一人で死ぬのよ。
その間にどれだけ豊かな「生」を全う出来るか、なんじゃないのかしら。


久々に服を買いました。
試着せず、特に何を気にするでもなく、カッティングと肌触りのよさだけで5分で買いました。黒いニット。
安いですが、手持ちの小物でカバーするとどんな組み合わせになるか、瞬時に計算できました。

「物欲の固まりみたいなあなたがどうしてそんな簡単に」と言われました。
「そこに力と時間をかけるなら、画材が欲しい、個展の費用が欲しい。今は創ることしか考えたくない。」
10年前の自分と話し合ってみたいな、と思いました。