やさしい気持ちになった

20代からリウマチにかかって
下半身不随で何度も手術をして苦労している
大阪の叔母に手紙を書いた。

親のもとには年賀状がたくさん来るけれど、
わたしの身体の心配をこころからしてくれるひとは、この叔母だけな気がする。

手術、入院中も何度か手紙を交換した。

元気になって欲しくて、花の模様のレターセットを買った。

痛みをしらないと、相手の痛さもわからない。

痛くて苦しくて、動けなくて悔しくて
意識ははっきりしているのに布団の中から出られなくて
とこずれが起きるから何度もナースコールを鳴らすんだけど
看護婦さんも忙しいからギリギリまで我慢しちゃったりして
どっちを向いても痛くて。

そんな白い病室の中の経験とリハビリ。


お医者さんに「生まれつきの骨の奇形」って言われたとき、誰も責められなかった。

不摂生でそうなったわけではないし、誰かを恨んだって解決しない。

生まれちゃったんだもん。
そんな身体に生まれちゃったんだもん、だれかととりかえっこのしようもない。

手術室に向かうストレッチャーの中で、兄嫁が「がんばってね!」って手を握ってくれた。嬉しかった。



しん、とした気持ちで、相手が封をあけるときの気持ちを考える。

何度も絵や文字を練習するのは、こんなときにも有益で

相手の気持ちを思えばこそ、丁寧な文字になる。


字がミミズな人は(うちの兄なんかもそうなんだけれど)、
だれかになにかを伝えようとするときの配慮がないんじゃないかと思った。

自分がどんな風に見られるか、どんな風に受け取られるか、ということを考えなかったら、やわらかくなれない。


同じように荷物を送るにしても、一筆入ってると嬉しい。
お金なんてかけなくても、幸せの種はそこここに散らばっている。


うまくはないけれど、やさしい気持ちを込めたら、やさしい言葉になる気がした。

自分のしるしをのこしたくて、花のイラストを少し描きそえた。




いろんなひとに生かしてもらってるから、強く優しくなろうと思った。

誰か特定の人を思えるっていいなあ。
対象が定まってたら、表現はぶれない、きっと。