変人 トラークルを待っている

クリス氏から教えてもらった夭折の詩人
Georg Trak(ゲオルク・トラークル)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB

日本では杉岡幸徳さんという方が本を出されているそうで

ずいぶん前にamazonでポチしたのに、、、、来ないんですよ。

んもーーーーー!なんで?
amazonさん、がんばってくださいよ。

ゲオルク・トラークル、詩人の誕生

ゲオルク・トラークル、詩人の誕生

ちなみに我が家に出入りする宅配のおじさんは、不在通知の
「アマゾン」さまから
のところを いつも
「アマヅン」さまから
と書く。

そんなあのおじさんの感性が愛らしくて好きだ。


ところでこのトラークルなる人物、詩人アルチュール・ランボーから影響を受けたと書かれているのだが、
ランボーは「共感覚」の中の「色聴」保持者ではなかったのかという点でも有名らしい。

幼少期に隣の姉の机に張り出してあった「好きな詩集書き置き」の中にあった「太陽と永遠」は
子ども心ながらに「現実を見てないロマンチストの戯言」と捉えてしまって
そうそう、そのころはアルフォンシュ・ミュシャアールヌーボーもなんとなく流行っていたんだけど
モヤモヤとした過剰装飾が苦手だった。

思春期に至る前の一瞬---小学校中学年くらいだろうか。
「少女趣味」と思われるものすべてに嫌悪感を抱いていた。
フリルとリボンのついた靴下やシャツ。赤やピンクの女児向けの服、雑貨。
大人が「幼女」「少女」に背負わせるアイコンのようなものすべて。

黒い服を好んで着た。スカートも恥ずかしかった。
それは膨らんでゆく胸や級友たちの間で噂される初潮への不安と抵抗(「子ども」から「子どもをうめる女」への生物学的変化)が多いに影響していたように思う。

大人になり、周りにも子持ちの友人が増えるにつれ、
女の子をかわいく装飾したい気持ちはわからなくもない、そう思うようになってきたけれど。
我が子とて他人、趣味趣向の押しつけはいけませぬ。


ところでもうひとつ。
トラークル繋がりでネット上で検索していたところ、素敵な頁を見つけたので、
僭越ながらここで紹介させていただく。

雨宮孝幸さんという方の詩のブログ。
http://amamiyatakayuki.blog.so-net.ne.jp/


そうしてもうひとつ。
なかなか完読できなくてマウスパッド代わりになっているのがこの本。
ああ、だれか代読してくれないかしら。
翻訳本って苦手なんだよ。

共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人

共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人