擦り傷、そして瘡蓋。 すりきず、そしてかさぶた。

アントワン・ダガタ(Antoine d'Agata)という写真家の存在を知る。

肉体は肉体でしかないということを痛感させられる。
そして、躍動する肉体--特にセックスの場においてのそれ--は、
個人的な体験かつ普段外部から見ることのないもので、人間の原始的な営みの普遍性と
個人の輪郭の境界、人間同士の境界線の曖昧さを、粗いフィルムの上に映し出していた。

決して幻想的でもなく、グロテスクでもない。
ただただ、肌の質感、肉の厚み、美と退廃が醸し出されている。

カラー写真は、ときにルネッサンス期〜写実主義の絵画のような質感を伴っている。

彼は自書の中で
「世界を吸収することは、世界を支配する唯一の方法だ」
「知性は不能の快適さの中に我々を閉じ込める悪循環のスパイラルであり」
と語っている。

「見るものを共犯者とする自伝」そして「傷の痕」


咄嗟に、昨今なんとなく頭の中にひっかかっていた「擦り傷」という単語がリンクする。

目の粗いサンドペーパーで肌を擦られたような痛み。

完璧な曲面を抱いた機械のようなテクスチャーではなく、汚し、サビの部分。

その意味するところはなんだろうかと考えていた。

・粗さを付けることによって表面積を大きくする
・吸収する部分を拡大する
・浸透圧を高くする
・花の水切りで言うところの、「水の中で斜めに」もしくは「パチッ」と音がするまでコンロで茎をあぶる。
・炭素化した部分が水を吸いやすくなる
・彩色なんかで言うと、表面のサンドペーパーかけは塗料の吸着率を高める

ざっと思い浮かべるだけでも、こんなところだろうか。

右足の膝小僧に、6歳の時に作った擦り傷の痕がある。
やっと買ってもらった憧れの白いタイツを履いてスカートではしゃいでいたら、遊んでいた荷台から落ちた。
白タイツは破れて台無しに。
わたしの膝には大きな擦り傷が出来た。

擦り傷はやがて、そこだけに鑞を垂らしたような、ペラっとした火傷の痕みたいな皮膚になった。

ひとは誰しも、自分にしかわからない傷の一つ二つを抱えている。

点と点を渡り、中間地点を探す。

心地よい距離感を探る。

瘡蓋が治癒して剥がれ落ちた。

新しい皮膚が一つ、見えた。


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