なにということもなく。

さらさらない。

閉じるつもりなんて、さらさら、ない。


ここに書くことがなんだか負担になってしまうのも嫌だったのだけれど

さまざまな均衡を保つために
場所、空気、身の回りの質感
整えてゆくようにこころがけている。


仕事柄、ネットのない生活は考えられないし
仕事がなくなっても
情報収集にはネットを使うだろう。

まっさらなノートに書き記すつもりで、とは言われているが、
情報が混線するとノートもページを開く前から皺が寄り、手垢にまみれてしまう。

こんな一個人のサイトを見るのが有益かそうでないか
なんてのも個人の判断だ。

美しいものも美しくないものも
知って
選んで
抽出してゆくから

ここは白くあってほしい。

なにに染まるでもなく

ただわたしと
わたしを含む宇宙のどこかと
わたしのいなくなったあとの世界の誰かと

ことばのひとつ、でも
絵のひとつ、でも

渡してゆけてれば幸いだ。

自己発信するということに躊躇しないでおこう。

紙に記すのをよしとする世代もいるが
出版不況だエコだと騒がれる中

場当たり的に印刷され消費される文字も多いわけで
大量消費文化と不況と地球の未来だとかなんだとか言われている時に

こんな場所でこんなことを綴る、それもまたありではないか。

繋がりのなさそうな誰かに
そっと繋がるといい。


空白の領域からにおいや音や温度や

そんなものが感じられる場所が欲しくて

しかしあたりまえのように

そんなものはなかなかないので

自分で試みているに過ぎない。


本も猫も田舎の景色も大好きだが
アレルギーや花粉症を持っている以上

ケーハクに「自然万歳」「書物万歳」「ペット万歳」なんて言えないわけで

なによりも
猫はペットではなく家族で恋人で神様だし

植物がすべて人間の体によいかというと決してそんなわけではないことも
幼少時の蕎麦アレルギーから体験しており

狂信的に「石油ダメ」「毛皮ダメ」「肉食ダメ」
なんてひとをたまに見かけるけれど
シーシェパードのひとたちと何が違うのかさっぱりわからない。

さっぱりわからないということをわかっているぶんだけ
無知の知ということにしておこうと思う。

アンチロハスであるところの野良ガールより。