夢と歯と山とわたし。それに細胞。

よしなしごと。

最近の夢に登場するのが子供時代のうちのきょうだいだったりして、みんな仲が良い。つまりその頃は仲が良かったし、みんないた。
老婆が走馬灯のように人生を振り返り、一等幸福な時代に子供還りしているような感覚が、昨今常にある。
つまり現実のどこかが辛いんだろうよ。

特定の時期の子供時代、もういっかいやりたいなあ。
そういうチケットがあったら買っちゃう。
抱えた自分の膝の頼りなさを覚えていようと思ってたのだけれど、だんだんその感覚も遠くなって来た。

長くかかった虫歯の治療に一段落。
実に計9本の歯をクラウンで覆うということになったのだが、辣腕女医曰く、それでも気を抜くな、たびたび検診に来いとのおおせ。

今まで歯の疾病に苦労した事はなく、親知らずを除いて並び良好、虫歯なしでいつも褒められてきた身としては、忙しさにかまけて身体を労らなかった罰があたったのだと感じる。一生ものの部位をこんな短期間に悪くしてしまうとは、お恥ずかしい限り。

山にドライブすると、山が「山だよ!」とはしゃいでるのがわかる。
「ただいま!山の子だよ!久しぶりだね!」って心の中で返すので、山とわたしは相思相愛である。
白いヤマユリを斜面に見つける。
そういえば、薄いピンクのササユリも、山にはあったっけ。

季節の花に樹に草、動物に昆虫。
そういうものと縁遠くなってしまって、山がどれだけの恵みと季節ごとの表情と自然の畏敬を与えてくれていたのか、さっぱり忘れてしまっている。

帰り際にくねくね道を曲がりながら、「おんなの肌は25で一回、30で二回目の二段階右折をすることがわかった」と脳内に浮かぶ。

珍しく、道順をすべて覚えていた。


今敏監督の訃報。
遺言にずっしりとした重さを感じつつ、パプリカ冒頭のムービーを思い出して少しだけ涙ぐむ。一度お会いしたかったですが、もうあちらに行かれたとのこと。
どうぞ安らかに。

すべての細胞は産まれた時点で死ぬ運命にある、というだれぞの言葉を反芻。

まぎれもなく、自分にも、周りのひとたちにも、それは起こる。日々起こっている。

納得出来る形で生きたい、それから死にたい、とあらためて胸に刻む。そんな日。