脳天ボコゴコ 琴線ヒリヒリ
言葉で殴られることがある。
何よりも痛い、苦しい。
でもさ、なんにも感じない人もいる。素通りできる人もいる。
素通りできる事件も、人間関係も、食べ物も、季節も、あるんだろ。
我が身にだって。
ハリネズミのジレンマ。
見聞きせず生きれば傷つかまい。でも見ちゃうんだろ。知りたいんだろ。焼き付けたいんだろ。
ノートに走り書いた最後の言葉は、「生きたい」。
昔の自分に見せてやりたい。
死にたいの裏は、生きたい。
薄々知ってたんだろ?
恥ずかしくて、自尊心が封をして、素直に認められなかったんだろ?
足枷を外してやれ。
生を感じたい。
誤解すんな。
人それぞれ事由はある。
けれど、かつて自分があの行為を繰り返したのは、生きるためだった。
痛みも不安も他に表現できなくて、樹に墓碑を刻むように、絶えず刻印を押した。他に術を知らなかったから。
それだけ覚えて置こうと思う。どうやってでもよく生きた、内側から膨れ上がる塊に喰い潰されず、よく生きたと抱いてやりたい。
正直な人がいる。
表現の前に正直な、生きるのが少し不器用な、
近くで気安く触れるのがちょっと恐い人たち。
みんな針を持ってる。
内に。
好きだぜ。
愛してやる。
自分さえも遠くから。
ヒリヒリする気持ちをエントリープラグばりにコメカミに投入し、起きれば検診に行ってくる。
経過悪ければそれまでだ、杞憂にぐらつくな。
力を抜いて現状を受け入れる勇気を。平常心を。
小さくていい、日常を楽しめ。自分の、他人の、よいところを見つけて褒めろ。伝えろ。
九年前にお世話になったホテルにて。
ありがとうとごめんなさいをたくさん。
ありがとうの方がたくさん。
じゃ、また。