ゆめをみた

5時間の睡眠で壮大なロードムービーを見た。南米まで行って帰って来た。オダジョー、紫のたてがみの馬、落石、受賞パーティー、他所の家のトイレにひきこもる自傷癖の女子高生、彼女の妹、名字の違う母、撮り直し、アイヌ語で侍の挨拶、地方の列車、51階のビルから駆け下りる、電車の中で手を繋ぐ。



夢のなかのわたしは目でカメラを回していた。
フレーミングを調整しつつ、「もうワンカット」等と思い描き、その通りに画を撮っていた。

初めて馬に乗った。
かわいい子だった。
たてがみがモサモサ5分刈りで赤紫色。
ピッチの早さは手綱で調整。
田舎のジャスコに入ろうとすると、警備員のおじさんに「たてがみは全部剃って」と言われ、1階の美容室またはT字カミソリ売り場に向かう。

馬はすでにいくつもの体験をしてきて相棒と言える立ち居値にあり
古い日本家屋の襖に貼付けた平家納経を懐かしそうに嗅いでいた。

無理矢理削った山には高地に道路が繋げてあり、山そのものは落石だらけの禿げ山でやせ細っており、状態が落ち着くまで数百年、、はたまた数千年の時を必要とするようだった。

久々に寄った昔の実家では、洋式トイレにだれかの嘔吐跡があり、壁には勝手に張り紙があった。母校の後輩にあたる女子生徒が出入りし、そこに篭っている習慣を見受けた。
制服の十代が腕を刻みに来る場所。
ひっそりと自己顕示を示す赤い棒線のひかれた新聞記事。

わたしの居場所をとらないで。

ここはわたしの家じゃないの?

勝手に人をあげないで。

怒って当たる。

最初に出て来た女は妹のことを
「どこかよその男の元で首でも切ってんじゃない?」と言った。
妹は文才に恵まれ、大きな賞の最終選考まで残ったところだった。
校内報と地元の新聞に名前と写真が大きく掲載された。
母親は「あの子は名字が違うのです」と電話口で応対した。

男は、南米での受賞を世に出せなくなった。

我々は電車の中で、人の縁同士に従って、うっすらと手を繋いで広がってみた。

だれかはだれかの子で、だれかとだれかが恋人で、だれかとだれかがきょうだい。
手は一本じゃ足りない。


家のなかで居場所を奪われたと感じたことは多々あった。
誕生日プレゼントのおもちゃを姉とおさななじみが独占したとき。
エレクトーンの先生が来る日。
苦手な大人にだっこされたとき。
親の招いた客の中に居る子供が、わたしの大事にしている童話を持って帰ったとき。

勝手に、
ひとは勝手に
奪ってゆく。