ゆめをみた

畑の大根に「美人だねえ」って声をかけてるおじさん。

その横でカブ、大根を3つ4つ積んで昆虫みたいに造形を整えてみた。
さて運ぶか、と思って大根のヒゲ(根)を掴んだらやおら動き出して、跳ねたりしてる。
大根の塊が、巨大な昆虫に化けたんだよ。気持ち悪い。

白に黒ぶちしましま猫のチビの絵を20枚描いて挿絵にしてほしい、と資料を渡される。
さて、チビちゃん、モデルになってくださいよ、とチビに近づいたら、三毛柄の皮に包まれた猫巻き団子。
腸詰めされたソーセージみたいな、ノッペリ長い塊に猫の顔だけがついてる。

そこへ横からココリンが、、、いや、ココリン(シャム猫)の皮をかぶった猫のオッカアだ。
ジトっとした三白眼でへしゃげたような額。相変わらず前世が人間の女であったかのような情念の凝固した顔つき体つきで、すり寄って来る。
なででやると、頭の後ろの曲線が背中にむっちりとつながっていて、たしかにオッカアであった。

猫のオッカアはわたしが18歳の冬に、憤死した。
大学の入学金を支払に郵便局へ向かう親が、玄関先で見つけた。
庭の塀から落ちた格好で、何に怒ったのかシッポをぼうぼうに膨らませて、四肢をビンと張りつめて、死んでいた。ほんの1時間ほど前にキャットフードをやったばかりだったオッカアの遺体は、まだあったかくて柔らかくて、心臓マッサージでもしたら生き返るんじゃないかと思った。でも、息を吹き返す事はなかった。
嫉妬と業の深さを背負ったような猫だった。
あれを憤死といわず、なんというのだろう。

そんなオッカアも、夢に出て来る。
時系列なんか無視して。

そういう世界、好きだよ。